chapter 2
デザインのはじまり
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バウハウス第3代校長のミース・ファン・デル・ローエが1929年にデザインしたバルセロナ万国博覧会ドイツ館「バルセロナ・パヴィリオン」。
博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。
人類が初めてデザインされた道具を手にしたのは、今から200万年から1万年前の石器時代のことである。ホモ・ハビリスというヒト属の1種族が、単純な石器を使用して狩猟生活を営んでいた。彼らは打ち欠いた石の道具を使い、食料となる動物を狩っていた。すぐれた打製石器は、それまでとは比較にならないほどの豊かな収穫を彼らにもたらせたことだろう。
しかし、私たちがいま日常的に使う「デザイン」という概念は、18世紀から19世紀にかけてイギリスでおこった産業革命に起因する。
紡績機の発明により、それまで主に住宅でおこなわれていた糸車紡績は、蒸気機関を利用した大規模な工場での大量生産へと移行していく。同様に進行していた農業革命による食料の増産は人口増加を招き、都市部の工場には多くの賃金労働者が集中した。
これにより生産性は飛躍的に向上するが、経済格差も拡大することになる。
労働者が働く工場と、彼らの住宅は劣悪な環境に陥っていくのである。
工場が集中するロンドンの急激な環境悪化と貧困の拡大を憂いたエベネザー・ハワードは、1898年に「田園都市論」を発表する。人口数万人程度の職住隣接のまちを郊外に建設し、周辺には公園や森が配置された。賃貸住宅による収入は公共施設の整備に使われるという新しいコミュニティーの出現であった。ロンドン北部郊外にあるレッチワースのデザインは今でも多くの都市計画に影響を与えている。
同じ時代に活躍したウイリアム・モリスもモダンデザインの源流である。
モリスは産業革命によって失われた商品の美しさや 手仕事の価値を見直し、生活の中に美を取り入れるという「アーツアンドクラフツ運動」を展開する。
彼は労働者を解放し、生活を芸術化するためには社会を変えることが必要だと考え、マルクス主義を強く信奉した。
ハワードもモリスも、ともに社会主義的な思想を展開しているのである。
彼らと接触があり、のちにバウハウスへと繋がる「ドイツ工作連盟」のメンバーであるブルーノ・タウトやヘルマン・ムテジウスもロシア革命に大きな影響をうけている。
彼らは美を一部の特権階級だけではなく、労働者階級に提供するための活動を精力的に続けていく。
これが社会の改善という優れた思想をもつ「モダンデザイン」のスタートであった。